2013年1月27日

アルジェリア人質拘束事件についての私見


アルジェリア人質拘束事件ですが、日本国内もある程度落ち着いてきたので、この場で語らせて頂きます。

まず、この事件によりお亡くなりになった日揮従業員の皆様を始めとした犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。日揮のアルジェリアでの活動は、我が国のエネルギー資源の確保による我が国の発展に貢献するばかりか、アルジェリアでの雇用を創出し、現地の発展に貢献していた活動であると存じ上げています。
武装組織「イスラム聖戦士血盟団」の許されざる行動により、今回の事件は火蓋を切ったわけですが、その背景には2011年のリビア内戦やトランス・サハラにおける不朽の自由作戦・欧州連合マリ訓練ミッション・アフリカ主導マリ国際支援ミッションといったNATO(北大西洋条約機構)やAU(アフリカ連合)によるマリ軍への支援──「イスラーム・マグリブ諸国のアル=カイーダ機構」や独立を目指すトゥアレグ族への武力介入への支援──がありました。そして、2013年1月11日、フランス軍はアザワド地域への攻撃(セルヴァル作戦)を行い、イスラム過激派がNATOやEUへの反発として、この事件を起こしました。


さて、今回の事件に対するアルジェリア政府──とりわけアルジェリア軍──の対応が非難されているようですが、果たして彼らアルジェリア軍の行動は非難の対象となるべきだったのでしょうか?
日本人として、日本人の生命が失われたことは残念極まりないですが、しかし、軍事行動として、彼らの行動を避難することは私にはできません。
まず、日本人ならば「交渉による解決」を前提とするでしょうが、これは良い選択肢であるとは言えません。なぜならば、テロリストに「人質を捕ることは有効である」と示すことになります。そうなれば、彼らは身代金目的で再び同じような事件を引き起こし、再び、身代金が払われ、また事件が起き…とスパイラルに陥ることになります。するとどうなるか。事件の被害者の国の税金で、武装勢力に金が渡り、武装勢力はその金で武器を購入し、その武器でテロや人質事件を起こし、被害者を増やすことになります。つまり、日本人の税金で武装勢力が銃を買い、その銃で日本人が殺されるのです。そのような事態は絶対に防がねばならないと私は思います。
バングラデシュでのダッカ日航機ハイジャック事件において、時の福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と発言し、「超法規的措置」により犯人の要求を呑んだ結果、「日本はテロリストに屈する国」とされ、世界に嘲笑の対象になりました。

軍事力による人質救出作戦についても意見を唱える人が多いでしょうが、人質救出作戦が困難であることはどの部隊でも同じで、特に広い敷地に大勢の人質が拘束されているとなれば尚更です。更に、軍が出動しているということは「被害ゼロ」ではなく「被害最小」、「犯人の逮捕」ではなく「敵の制圧」が目標です。
そして、今回のアルジェリア軍の任務は「人質救出」ではなく「武装勢力の殲滅」にあり、人質の存在は副次目標であるか、無視されたものでした。もし、アルジェリア軍が人質を重視し、作戦において多大な犠牲や手間を掛けるとなれば、武装勢力に対し「人質を捕ることは有効である」と示すことになります。そうなれば、再び同じような人質事件を引き起こすことになり、日本人を始めとする外国人やアルジェリア人の人命が再び危機に晒されるばかりか、最悪、アルジェリアの国家としての平和と独立を揺るがしかねない事態になりかねません。日本人が犠牲になったのは残念ですが、軍事的視点からすれば、この行動は間違っていないと思います。

また、米海軍特殊部隊「SEALs」やフランス国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN)が出動準備をしていたとの情報もありますが、アルジェリア政府はそれを断りました。しかし、この件について批判するべきとは思えません。なぜなら、アルジェリアにはフランスに蹂躙されたトラウマがあり、第二次世界大戦後にはアルジェリア戦争が勃発し、100万人に及ぶ死者を出したほか、フランスの核実験場として使われたという哀しい歴史があるからです。もし、白人の軍の介入を認めれば国家転覆の危機に陥る、アルジェリア政府はそう考えたのではないでしょうか。私には、彼らの悲しい歴史を否定してまでアルジェリア政府の米軍・仏軍の拒否を批判するべきとは思えません。


最後に、今回の事件で浮き彫りになったのは「日本人の平和ボケ」であったと思います。国民の大半がテロの脅威を知らず、政府が軍事力による邦人救出の準備ができない法制度・設備・世論であったことは問題であったと思います。
私見と希望的観測が入りますが、アルジェリア政府は米軍・仏軍よりも自衛隊ならば受け入れを行った確率が高いのではないか、と思います。なぜなら、日本は歴史上、他国を蹂躙したことがありません。第二次世界大戦が槍玉に挙げられるかもしれませんが、当時の日本の行動は「アジアからの搾取」ではなく、「アジアの解放」「アジアの発展」にあったと思います。台湾島や朝鮮半島を始めとするアジアは日本の占領により発展を遂げ、アジアからの称賛もあったほどです。そして、我々日本人がアメリカ人やフランス人と異なる最大の点は「有色人種である」ことです。アルジェリア人と同じ「有色人種」であり、更に白人に蹂躙された歴史を有することがある日本は、アメリカやフランス以上に、アルジェリアの共感を得られたのではないか、と思います。
そして、日本人も大規模な武力によるテロ行為を経験したことがなく(それはそれで良いことでもあるのですが)、「人命第一」という感情論に踊らされ続けていたのではないか、と思います。
可能な限り、人命を尊重することは必要ですが、それが不可能であったと判断された場合、多少の犠牲を覚悟で「大きな利益を守る」覚悟を日本人がせねばならない。さもなければ、今後も「日本人が守るべきもの」を失い続けるのではないか、そう思う所存です。
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