2012年7月4日

人権教育について


人権教育について
中学校公民の授業科目の中に、「人権」というものがあります。

例えば、女性専用車両があるのに男性専用車両がない、国によって法律が違う、等の「違い」は差別か?不当か?というものです。

これを、クラスで話し合って不当か正当かを出す、というものがありました。

最終的には先生が正解を出すというものですが、これに「正解」はあるのでしょうか?

例えば、女性専用車両を痴漢対策だから正当だ、とする主張を根拠に女性専用車両を正当化していました。しかし男性からしてみれば同じ電車賃を払っているのに乗ることの出来る車両が一両減らされているとか、痴漢冤罪対策がされていない、等の問題もあり、差別ではない、とはできない場合もあります。

ただ、先生や教科書会社の意見を「正解」とし、その他の意見をねじ伏せるというのは如何なものなのでしょうか?

学校では、それぞれの価値観や考え方の違いがあっても良い、ということを教えます。しかし、結局は先生や教科書会社の価値観・考え方・主観で「統一」しています。


宗教や政治的、経済的なシステムが世界各国で違うから、価値観・考え方・主観の違いが生じ、今日も世界各地で紛争や領土問題が生じているのもまた事実。

しかし、価値観・考え方・主観を押し付け、その他をねじ伏せているのでは解決にはならないのではないでしょうか?

「人権」と声高らかに言う割には、人権侵害となる紛争を助長する。
良い加減我が国の「人権教育」とやらを見直すべきではないのでしょうか?
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