「自衛隊は人殺し」「自衛隊は平和を脅かす」とシュプレヒコールを声を上げる者がいるが、彼らは現実が見えているのだろうか。
いや、綺麗事を並べて、「スポーツは平和につながる」「平和を守るのは自衛隊ではなく憲法9条」と叫ぶ者も、現実が見えているとは言い難い。
まず、自衛隊は創設以来、誰一人として殺していない。朝霞自衛官殺害事件の様に、自衛官が殺害された事件はあっても、自衛隊が殺した事件はない。
自衛官個人による殺人事件はあるかもしれないが、自衛隊として、任務上殺された事件は、この自衛隊57年の歴史上、一度もないのだ。
自衛隊が平和を脅かす、というが、平和、とりわけ日本を始めとする東アジアの平和を脅かしているのは、日本人を拉致する北朝鮮や、日本領土を不法占拠する韓国、核を保有し、空母を今まさに就役させようとしている中国ではないのだろうか。
彼らが日本の平和を脅かす事の無いように、即ち、日本の平和を守るために自衛隊が存在するのであって、彼らが平和を脅かすというのは、どうも東アジアの情勢を理解していない、としか思えない。
スポーツは平和に繋がる、というのも如何なものか。
1896年の近代オリンピック第1回以後、夏季オリンピックのみで30回、冬季オリンピックで21回、計51回のオリンピックが開催されたが、その間、第一次世界大戦、第二次世界大戦などの、国家間の大規模な戦争があった。
もし、スポーツ、とりわけ国家間の交流であるオリンピックが平和につながるというのならば、第一次大戦や第二次大戦のような国家間の大規模な戦争は起こり得ないはずだ。
そもそも、スポーツに分類される、アーチェリーや射撃などの競技は、「兵器」とされる弓や銃を用いて行う競技であって、戦争がなければこれらの競技は生み出されなかった、とも言える。
広い視野で見れば、陸上競技の走る種目は、戦場を早く移動することに、砲丸投げは手榴弾を遠くに正確に投げることに、水泳は敵地に上陸することに応用できる。
体力練成は自衛隊を始めとする世界各国の軍事組織やテロ組織で行われているわけで、スポーツは平和につながらないどころか、戦争に加担している、とも言えるわけだ。
もちろん、スポーツが戦争に加担している、というのは極端な見方だろう。しかし、「スポーツは平和につながる」という阿呆なことよりも、現実的ではないだろうか。
平和を守るのは自衛隊ではなく憲法9条、と唱えるものもいる。
しかし、北朝鮮がミサイルを撃ってきた場合、どうするのか。まさか「9条バリア」というミサイル防衛システムが日本上空に展開するはずもないわけで、ミサイルを撃たれた場合、特に東京に向けてミサイルが撃たれた場合、自衛隊なしではどうすることも出来ない。
竹島も、自衛隊が抵抗しなかった為に占領されたわけで、もし自衛隊がなければ、竹島だけでなく、津島や尖閣諸島、いつかは沖縄や北海道も占領されただろう。
つまり、「自衛隊は人殺し」「自衛隊は平和を脅かす」と叫ぶ者はもちろん、「スポーツは平和につながる」「平和を守るのは自衛隊ではなく憲法9条」と叫ぶ者も、「現実が見えていない」と言えるだろう。